思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

☆☆☆☆

黒澤明の映画、2、30年前に観たが、その当時でも、衣装が素晴らしかったことと、燃える城の前を彷徨い出す主人公の老人(大殿)、というビジュアルの鮮烈さは今でもはっきり覚えている。
改めて見直しても、ほぼ全カット、緻密に考えられた構図。「ほぼ」と書いたのは、ラストシーンの、城跡に佇む男のロングショットだけがイマイチな感じがしたから(^^;) ほぼラストカットだっただけに、ちょっと残念ポイント。
ほとんどのカットが望遠レンズで撮影されているのか、人物の背後に倒れてくるかのような、背後の山並みや、それぞれの人物の遠近感も薄くて、まるでシェイクスピアの舞台演劇を、後ろの席から、オペラグラスで見ているかのような見た目なのだ。遠近法の効果が薄い、という面では、能のような華麗な衣装を含め、日本画のイメージを狙った部分も大きいかもしれない。
主人公の秀虎(大殿)を演じる仲代達也も、当時は「こういう顔の俳優」かと思ったが、改めて見れば、明らかにメイク、それも特殊メイクと言ってもいいくらい、幽鬼(有機の誤変換ではない)的なビジュアルだ。これも先述のように、能面の翁をモチーフにしたものかもしれない。(ちなみに、情報ゼロで観ました)
太鼓持ち的な、文字通り狂言回しとして、池畑慎之介(ピーター)が最初から最後まで出てくるが、この役だけはずっとモヤモヤしたなぁ……。わかりやすく例えれば、『スターウォーズ エピソード1』のジャージャーみたい。もしかしたら、桂枝雀師匠的な、一級のコメディアンが演じれば、もうちょっと自然に見られるかもしれない。セリフや求められている役割じたいは、必要なものだと納得できたので。
城が燃えるシーンは、てっきりクライマックスだと思ったら、ちょうど開始1時間くらいで、驚いた。本作では上映時間の4割しか経過していないのだ。
ここは、色んな戦争映画を見てきたが、青白い屍体など、文字通り死屍累々を、最もリアルに感じられる強烈なインパクトのあるシークエンスであった。他にも、終盤の合戦シーンでの、兵士が次々に落馬するシーンも、スタントマンとはいえ、よくこれで大怪我しないよなぁ、と驚くカットが連発。『駅馬車』の馬がらちのシーン同様に、現在の目で見ても凄いアクションだ。
ぶっちゃけ、ストーリーについて書くことは、『北斗の拳』の「修羅の国」編の後の、散発的なエピソード編のところで、元ネタにされてることくらいしか、ないかも。親兄弟•夫婦や臣下といえども、完全には信用できないのが、戦国の習い、というのは天邪鬼な私としては、シビアで良かったね。