思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

聖闘士星矢 THE BEGINING

☆☆☆

超低評価から、「燃えた」まで、玉石混交の実写映画化。
私も、『ドラゴンボール エボリューション』と並ぶダメダメ映画だと思って臨んだのだが。
観てみると、確かに改変と悪いところ5割、良いところ2割、理解できなくもない変更が3割、という感じで、ほんとに微妙(^_^;)
まず、目指すべきところがあって、それに向けて原作を改変していったらこうなる、という感じ。それは『G.I.ジョー 漆黒のスネークアイズ』であり、マーベル映画であり、『モータル・コンバット』だ。
致命的なのは、ヒロインのアテナ(人間名はシエナ)のキャスティング。ケイト・ブランシェットとまでは言わないが、貴賓か威厳のある女優はいなかったのだろうか。せめて演技は捨ててモデルとかね。最初は金髪なのに、アテナとして覚醒すると、原作通り赤紫っぽいピンクになるのだが、それが、なんかパンクなおばちゃん(カットによっては60歳くらいに見えるのだ、ほんと)にしか見えない。
致命的といえば、アテナの設定を、コスモが爆発すると世界を滅ぼすという、原作の真逆の設定にしているのは、人によっては絶対に許せないのでは?
なんでこうなっているのかといえば、マリンさんが星矢にコスモの説明をするのだが、原作通りとはいえ、ニュアンス的には『スターウォーズ』のフォースと同じになっている。要するに、フォースのダークサイドとして扱っているのだ。まあ、確かに小宇宙=コスモという車田ワールドの概念は、外人にはわかりづらいので、フォースになぞらえるのは手っ取り早くはあるのだが・・・。
シエナの母親の扱いは、『G.I.ジョー 漆黒のスネークアイズ』のスネークアイズ的でもあるが、まんまダース・ヴェイダーでもある。あとは『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の母ちゃん。
マリンさんのマスクも、不気味。確かにギリシャ彫刻の顔そのまんまのマスクをかぶるのは、理解できるのだが・・・。西洋人のデスマスクをとれば、ああなるのかな?
ストーリーも、星矢がシエナを命がけで守る理由が全然納得できない。行き別れ(組織にさらわれた)の姉を探す、という設定は踏襲しているのだから、あくまでも姉を探すということにフォーカスすれば、物語にも一本筋が通ったのに。
スーパーマリオ』のように、日本のスタッフが設定や脚本をちゃんと監修していればこんな惨状にはならなかったのに・・・と思ったが、プロデューサーには日本人が名をつらねていたので、いったい何やっててん?! と言いたくなる。
アクションは、カンフーになりすぎることなく、カンフーっぽいアクションを取り入れていて良い塩梅なのだが、ワイヤーで振り子の動きがバレていたり、クライマックスはCGアニメみたいになっているなど、これまた惜しい。

以下ネタバレ

母ちゃんが、シエナからコスモを絞り取る(ってなんやねん? コスモってものを全く理解していない)目的で、自分が指示したくせに、いざそれが成就しそうになると、なぜか止めに回って、一輝と対立する、というのも訳わからん。母娘の愛情が勝ったというお馴染みのお約束なのかもしれないが、二人には血の繋がりはないから、何の説明もなしにそれをするのは観客が納得しない。これまた、『ジェダイの復讐』のヴェイダーがルークにとった行動を真似ているとしか思えない。