思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

ハッピーアワー


☆☆☆☆

濱口竜介監督。クソ長いことでも有名な作品。なんと5時間15分もあるのだ。『親密さ』やダサ題名映画(しつこい)『ドライブ・マイ・カー』も長かったが、段違いである。でも、濱口竜介監督作品は、長くても(ながら見でなら)充分に飽きずに観られるので、本作もある意味多いに期待して観た。
まず、驚いたのが、舞台が私の地元・神戸であること。それも、名前や、名所でちょっとロケして、それ以外は別の場所で撮ったというような、なんちゃって舞台ではなく、ほぼ全編神戸ロケ。というか、神戸の映画ゼミナールで作ったからかな?
登場人物のほとんどが関西弁(でも、濱口監督独特のセリフ回しゆえ、神戸弁は皆無)で、編集者夫婦だけが標準語。芦屋に住んでるし、東京もんかもしれない。
四人の大人の女性の話。それぞれ、バツイチの看護婦、離婚裁判中のパートさん、地方雑誌(ミニコミ誌?)編集者と同居中の企画会社職員、市役所公務員の夫と息子のいる主婦。
四つの女の抱える問題を解決(現状の崩壊という形も多い。再出発という意味も含む)するために、触媒となる登場人物との接触と接近を描くので、長くなる。
おまけに、濱口作品特有の、作中作をノーカットで挿入する手法が2回も使われているので、そりゃ長くなるわ、というところ。ひとつが、怪しさ満点のセミナー「重心」。半分はサクラとはいえ、十人も集まらへんやろーと言いたいところだが(^^;) ところが、セミナー中にやっていたことがしっかりと後に伏線として回収されるのがうまいところ。
もうひとつが、クライマックスの、編集者の不倫相手となる作家の短編朗読会。こちらは、いくら後で効いてくる内容があるとは言え、まるまるカットしても良かったであろう。その後の対談で内容の分析をしているので、それだけで充分。
本作は、どこにでもいそうで、誰にでも当てはまりそうでいて、よく考えると「そんなやつおらへんやろー」という、非現実的な展開を、リアリティのあるように感じさせる、濱口マジック。
濱口映画ならではの棒読み的なセリフについても、本作の朗読会の質疑応答で、答えの一端が明かされている。そこから思うに、素人の役者が映画で演じるのに、『時をかける少女』のように、変に感情を表現しようとするよりも、小説の会話文をAIが読むように、淡々と言うほうが、観客がそれぞれ感情を読み取ろうとする作用が生まれるのではないか。
全般に、男性陣のほうがセリフも演技も棒読みで、女性のほうが上手い。でもこれは、演出と当て書き脚本の巧さによるもので、主演女優賞を上げたりするのは映画をみ過ぎて頭がおかしくなってる人の所業じゃないかねぇ(´Д`)
展開も、人生の一場面を切り取ったというより、オチありきで逆算されている、感じ。これもリアリティがありそうでない部分。こんなダメダメ男と付き合ったり結婚するこいつら女も見る目がない以前に、そもそも付き合うこと自体があり得ないでしょ。ま、男は付き合う前は良い顔するもんだけど、本作に出てくる「重心アーティスト」なんて、あからさまにダメ男だし。
途中で有馬温泉に旅行に行くが、それこそどれも知っている道や場所ばかりで嬉しかった。
ちなみに、いちばん良かったのは、離婚裁判に敗れた女が、神戸港から旅立つ時に、親友の子供と会話を交わすシーン。彼女が4人の中でいちばん演技がうまいこともあって、プロの俳優が出てくる普通の映画としても感動できる場面。