思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

私論「右翼と左翼」

私がちょいちょい使っている「右翼」とか「左翼」という言葉の定義について。
長くなりそうなので、随時書き足して行きます。
後へ行くほど余談になるので、適当に切り上げていただいて構いません。

まず、大前提として、右か左か、の二元論です。真ん中、中庸、どちらでもない、は認めません。
あるとするなら、「事実だけの提示」くらいですかね。

知っている人は知っている通り、右翼とか左翼、というのは昔のイギリス議会において、保守派が議会の右側に、改革派が左側に座っていたことから来ます。私も、それに倣っています。

日本ではどうしても右翼というと、「右翼活動家」すなわち、街宣活動をしたり、そういう人たちは(映画やアングラネタとして)暴力団と関係がある、というイメージが流布していますが、私はそういうこととは一切関係ありません。

日本においては右翼を「保守派」と言っていますが、最初の二元論からすると、不誠実だと思うので、左翼を「リベラル」と書くのと同様に、私は使いません。
まあ、厳密にいうと、日本の保守政党とは、東京裁判史観を守ることを指す場合が多いので、それを避けたい、という理由もあります。
リベラルの定義からすると、外国においては保守政党でこそリベラルであったりするので、左翼をリベラルというのも同様に憚られます。

自分たちが保守派を自認する人が、自分たちは右翼ではないが、敵は左翼、というのも不誠実でしょう。なので、私は自分を右翼、相手を左翼と呼ぶのです。

日本の現状においては、マスゴミはいうまでもなく、大多数が左翼といえます。私に言わせれば、日本人の絶対数からすれば、いわゆる「ネトウヨ」以外は全員左翼、と分類できます。
これは義務教育を受けただけの人や、マスゴミの影響下にある人ならば、残らず反日・左翼になるからです。
いろいろな本を読んでいるうちに、自分で戦前や海外の「普通」を知った人は、ネットでしか意見を発信する場がないので、右翼的言論を展開されているのはネット上にしかない、というのは(右翼の私としては残念ながら)日本の現状です。