思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

ハンニバル


☆☆☆★

原作は読んでいるので、ラスト以外は、小説を忠実に映画化したな、という感じ。逆に、そつがなさすぎて、リドリー・スコットらしい毒っ気があまり感じられなかった。例のシーン(詳細はネタバレ欄で)も、原作通りだし。
あくまでシリーズ中の一作なので、レクターのプロフィール紹介はほとんどなし。逃亡中の現在の生活、という観点からの描写に限られる。だからというべきか、『羊たちの沈黙』からそうだった、と個人的には思うが、言葉だけで人を自殺させられるというレクターの恐ろしさは、単なるご都合主義か、傲慢な思い込みにしか見えないなぁ……。的外れの発言ではないけど。
個人的に、どうしても受け入れられなかったのが、主人公のクラリス。百歩譲ってジョディ・フォスターが(脚本がキモいから)拒否したにしても、この人(『フォーガットン』の人)はないわ……(´Д`) 顔色が青白くて、眉毛が薄くて、平板。顔の皮膚を移植して化け物じみた顔になった博士(今回より悪役)と五十歩百歩のモンスター顔にしか見えなくてねぇ。
さらに個人的に、レクターの潜伏先のイタリアのフィレンツェは、旅行で行った場所がたくさん出てきて、逆・聖地巡礼みたいな感じだった(^^;) だからなんだ、ということなんだけど。
本作はミステリーではない。復讐に燃える博士と、レクターがクラリスを狙うのと、クラリスが逃亡犯レクターを逮捕するのと、誰が先にゴールするか、というサスペンスでもあるが、気を許すと殺人鬼に変貌するレクターにビクビクするスリラーでしかないのかもしれない。
クライマックスに、湖畔の屋敷に黒塗りのバンが次々に乗り付けてくるとか、ハリウッドの娯楽映画で死ぬほど見た場面。
それでも、最後の最後に、本作ならではのお楽しみ場面があるので、一見の価値だけはある。

以下ネタバレ

本作の代名詞が、生きたまま人間の脳味噌を、それも自分のを食べさせられるシーンだ。原作では、クラリスが来る以前に調理された食材として、レクターとクラリスがディナーとして堪能する、という流れだった。これじゃあ、レクター(というか映画の?)の主旨が変わってしまって、単なる悪趣味な拷問に堕してしまってるやん。原作なら、究極の美食または珍味を味わうという、レクターの知性や教養を感じられる範囲内だったのに……。
また、脳味噌を取られる本人が、なすがままになっている理由もよくわからない。すでに前頭葉を切り取られているなら、ロボトミー的に、意識が混濁しているのも分かるが、切れ目は入れられているが、脳じたいは無傷なのだ(髄膜を剥くシーンは、精神的にもなかなかなグロいかも)。頭の皮膚は切られているので、その麻酔が覚め切っていないという表現??