思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

フリー・ガイ


☆☆★

評判がいいので期待して見たが、私的には全然だった。『マトリックス』とか『トゥルーマン・ショー』のほうが良い。私が最近の自由度の高いオープンワールドゲームをやったことがない、というのも大きいかも。
モブキャラネタなら、『勇者ヨシヒコ』のほうが遥かに面白い(福田雄一テイストの芝居の好き嫌いは置いといて)。
大部分はガイの視点で、だからこそというべきか、実写メインで描かれる。その後、ゲーム開発者(そのうちの一人が、ガイが恋する女性)たちのエピソードが加わると、ガイたちがラフなレンダリングで映るゲーム画面も出てくるようになる。
とにかく、SF的にも、メタフィクションものとしても、ゲームシステム的にも、引っかかる点が多すぎて、本作の展開には納得出来なかった。
そもそも、モブキャラが人工知能を持つ、自由度という概念が分からん。ゲームのプログラム構成を知ってると、その可能性がある、と首肯できるのかな? YouTubeの感想動画で、数少ない否定派の人の意見で、「ガイは、プログラマーの男の、相棒の女性への恋心が隠されていたのだから、ぜんぜんモブキャラじゃなくて、むしら『マトリックス』のネオのように、選ばれ者じゃないか」というのに激しく同意! 完全なモブキャラだが、プレイヤーからの干渉、つまり変わった趣向のプレイヤーからの執拗なアプローチや、バグ的な行為によって、少しずつアルゴリズムが書き変わって行く、という話ならSF的にオッケーなのだが。本作のそれは、完全にシンデレラ的な、「なろう系」と大差ないやん。
モブキャラであるガイと他のモブキャラとの会話も、どういう原理で可能なのか、全く理解出来なかった。ましてや、本作の最高のセリフである「ゲームの世界だろうが、いま生きている現在は最高だ」的なセリフを、モブキャラが喋るのだが、それが納得できない。プレイヤーか、クライマックスにガイが言うならいいのだが。
単純に楽しかったのは、ガイが、他のモブキャラのパターンを、掻い潜ってレベルを上げるシークエンス。でも、これ、モブキャラにレベルアップというパラメータは設定されてないんじゃないの? という疑問がやっぱり脳裏をよぎるのだ。
結論として、本作は実はゲーム弱視をだまくらかしたファンタジー映画じゃないの?