思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

『0葬』

なんかこの人、信用できないんだよなあ…。オウムに騙されたのもそうだが。本書も、宗教学者として書いているわけでも、仏教学者として書いているわけでも、さらにルポライターあるいはジャーナリストとして書いているわけでもないのがもやもやさせられる。

「村社会においては、あらかじめ院号のついた戒名を授かることができる家は決まっており、そうした家は日頃菩提寺に対してかなりの額を寄進している。それは、他の村人から期待されていることでもあり、一種の社会的な義務だった。その見返りが、院号のついた戒名なのである。」

「墓埋法は、それぞれの家に墓を造れと強制しているわけではない。しかし、遺骨を墓地以外に埋葬してはならないと規定しているわけだから、結果的に墓を持つことを強制していることになる。」
といいながら(あるいは敢えてこう前置きしておいて)、最後には散骨の勧めをやってるんだからなあ…。

「希望する葬られ方を遺言として残したとしても、それに法的な拘束力があるわけではない。」
文章がへんなのはおいといて、遺言って法的拘束力ないの?裁判しないとダメっていう程度の拘束力か??

「日本には独特な名前の文化があり、(略)成長していくにつれて、名を改めていくという考え方がある。
 とくに武士の場合はそれが明確で、幼名からはじまり、元服して大人になった時点で、主君などから新しい名前を与えられる。さらに戦場などで功績をあげれば、別の名前を与えられ、隠居すれば、また名前を改める。
 戒名は、こうした改名のくり返しの延長線上に位置している。だからこそ、死後の名前として戒名が受け入れられたのだろ。」

「地域によって火葬した後に遺族が持ち帰る遺骨の量は異なる。(略)東日本では、遺骨をすべて持ち帰る「全骨収骨(拾骨)」で、その分骨壺はかなり大きい。
 それに対して西日本では、「部分収骨」で、全体の3分の1、あるいは4分の1程度しか持ち帰らない。残りは火葬場で処分される。」
なぜ蛇足ともいえる最後の1文まで引用したのかというと、これが著者の結論ともいえる火葬場で遺骨を全く引き取らない「0葬」に繋がるからだ。

自然葬を行った
「その後遺族が、故人のことをどのように扱うかはわからない。なんらかの形で供養を続けるのだろうか。仏壇に位牌を安置しているのだろうか。それとも、もう何もしないのだろうか。そこまではわからない。」
このへんが最初に著者の立場がわからず不徹底だという証左である。自然葬を推奨するなら、それをやっている人たちがどういう人たちで、故人との向き合い方まで取材するのが当然の義務ではないのか。ジャーナリストならずともルポライターでもそれくらい調べるだろう。