思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』
☆☆☆★

テーマは「お兄ちゃんの自覚」で、兄弟がいる人なら誰もがぶち当たる問題。物語としては、ひまわりが宇宙人に姫として拉致される、というジュヴナイルなら定番といえる展開。
ドラえもん』とかでもよくあるが、そのような子供向け映画としては、悪い宇宙人をやっつけて終わる、というものではないのが本作の凝ったところ。大人である私からすればニヤリとさせられるひねった物語。当然、子供からすればすっきりしないのかもしれないが、一応ひまわりも戻ってきて、宇宙も救われてめでたしめでたし、というクレしん映画よりもさらに低年齢化した、『アンパンマン』的な幼児向けアニメのような構成といえるのかもしれない。
本作で印象的だったのは、終盤の幻想・幻覚・幻のような敵(?)の空間での戦い。体がグニャグニャになる時空が歪んだ表現とか、床が傾いたり大きさが変わったり、シュールな演出。
もう一つは、前述した、敵が悪者ではない、ということ。あくまでも宇宙の秩序を回復させるためにひまわりが必要だったから招致しただけであり、実際に上辺だけでなく、ひまわりもしんのすけも丁重に扱っている。まあ、ひろしとみさえだけは丁重に退去願ってはいるのだが・・・。ひろしが地球に戻ってから、死んだようになっている描写があり、ひまわりがいないだけかと思ったら、セリフだけだがしっかりと警察、自衛隊など各所に陳情に行っていたことがわかるところもしっかり脚本ができていると思った。
テーマとして、現代の地球には「ひま」が足りない、つまりはゆとりがない、というところは、子供向けのふざけた素朴なテーマのようでいて、実は結構深いテーマだったりする。
ただし、野原一家が200年後に地球とひまわり星が崩壊するのと、ひまわりを奪還するのを天秤にかけた結果、躊躇いもなくひまわりを選ぶ、というのは大人として、SF者としては納得いかなかったなぁ・・・。ジュヴナイルとしてはそれで正解なのだが・・・。ひまわりを取り戻しに行った結果、どちらも救われたのはたまたまにすぎない。
まとめとして、本作には根っからの悪人がいない、というのは強調しておきたい。『アラジンと魔法のランプ』のランプの精のようなひまわり星の大王サンデー・ゴロネスキー(このネーミング、大好き)にしても、悪人顔なのに悪意はなく、ひまわりを見出したゲッツなる初老のおっさんも、(不謹慎な例えながら)拉致ターゲットを見つけ出す北朝鮮工作員のような役回りながら、単なる生きるための仕事として悪意なくやっている憎めないキャラとなっている。
なお、終盤でひろしが見る未来幻視として、ひまわりが成人しての結婚式前夜のシーンは、男親の涙を誘う(いかにもあざとい)シーンといえるが、ひまわりが大きくなったところが見られる貴重なシーン(と思ったら、私が知らないだけで、本作の他にもあるっぽい)。