思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

『仏教論争 「縁起」から本質を問う』宮崎哲弥
☆☆☆★
ちくま新書

タイトル通りの内容で、縁起、十二支縁起、無常、法、空といった論点に対する、明治以後の仏教/思想界に起こった論争をまとめたもの。
著者独自の主張というのはほとんどなく、悪くいえば「まとめサイト」的、プレーンに言えば概説、よく言えば卒論か博士論文のような内容。これじたいが、仏教専門誌に連載されていても何ら不思議ではない専門的なもので、一般読者が論争史を理解する意味(需要)があるのかどうか……。
ただ、縁起や無常そのものの解説じたいに触れた部分は普通に仏教書を読むのと同様の知的興奮がある(当たり前だが)。
ただし、それらは1章のみで、以降は細部の対立点や思考の隘路を指摘するのみなので、一般読者は第1章だけ読むのでも充分だろう。

「多数の原因から多数の結果が生じるという捉え(略)(多因多果)(略)現在、少なからぬ仏教者が(略)支持している」
「一因一果は宿命論なのか。」
などは、実にスリリングだ。

「無常は、ただ私達の投げ込まれた状況であり、苦の根本因として現前しているだけだ。そして、その無常という危機的な時間を生きるしかない、という留保のない自覚こそが仏教の始まりである。従って「一切は無常である」という命題も、「一切は無常ではない」という命題も存在しない。ただ「一切は無常である」という危機的な自覚があるだけなのだ。」
という視点は著者独自の文章。論理学者でも哲学者ではなく、仏教者としての著者の立ち位置が伺える重要な部分だ。