思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

『幸せになる勇気』

岸見一郎+古賀史健
☆☆☆☆★
ダイヤモンド社

アドラー心理学に基づいて教育を行おう、というひとがぶつかる壁、疑問、障害について、さらなる対話を描いた続編。前作を『純粋理性批判』とするならば、本作は『実践理性批判』と言えるだろう。
本作においては、古賀氏のほうは、図書館司書から教師に転職した次男坊、という設定になっている。
ちょっと気になったのが、最後に到達する「愛」についての定義。日本の近代史以前や、仏教関係の専門書以外でよく陥っている問題、「愛」「恋」「恋愛」を混同して使っているのだ。岸見氏役のほうは、ほぼ一貫してキリスト教的な隣人愛として用いているが、古賀氏役のほうは、完全に混同している。いや、むしろ恋愛対象のことだとしか考えられないふしがある。だからこそ、理解に時間がかかり、さらには本人にも読者に対しても誤解を招きやすい。このへんは、なんとかして欲しい。私は分かったけど、仏教にもキリスト教にも哲学にも知識の薄い
普通の読者には不親切。

「問題行動の5段階(略)まずは称賛を求め、次に注目されんと躍起になり、それがかなわなければ権力争いを挑み、今度は悪質な復讐に転じる。そして最終的には、己の無能さを誇示する。」

「教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばならない」

「人間はなぜ働くのか? 生存するためである。(略)人間はなぜ社会を形成するのか? 働くためである。分業するためである。」

「他者と「分業」するためには、その人のことを信じなければならない。疑っている相手とは、協力することができない。」

「あなたがわたしを信じまいと、わたしはあなたを信じる。信じ続ける。」

「自力とは「自己中心性からの脱却」なのです。(略)そして愛は、「わたし」だった人生の主語を、「わたしたち」に変えます。われわれは愛によって「わたし」から解放され、自立を果たし、ほんとうの意味で世界を受け入れるのです。(略)「わたしたち」は、やがて共同体全体に、そして人類全体にまでその範囲を広げていくでしょう」
このへんは、まさしく仏教の菩薩道と同じであり、引用しなかったが、「与えよ、されば与えられん」というところも、菩薩道の「自利利他」と同じ。色んな本を書いている著者だが、是非とも仏教者と対談してほしい。共感するところや、発見が多いんじゃないかなあ。真っ先にその企画を思いつきそうなもんだが、担当の出版社や編集者がボンクラなのかなぁ。それとも、岸見氏がモロの宗教家との接触は拒んでいるのか……?