思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

『太陽の黄金の林檎』レイ・ブラッドベリ
☆☆★

元々早川文庫NV、すなわち普通小説レーベルから出ていたものを、最近のブラッドベリブーム(そんなのあるのか?出版社の都合に過ぎないのでは?)SF文庫で再販されたもの。
元々NV文庫で出ていたのはやはり正しく、私に言わせればSF認定できる話は一割くらいしかない(本書は短編集である)。
良く言えば幻想小説か、藤子不二雄的少し・不思議物語である。致命的と言っていいのは、クラークやアシモフの短編で得られる思っても見なかった視点や考え方、ドンデン返し的センス・オブ・ワンダーがないことだ。
50年代に書かれたものだが、表題作のように、太陽に着陸して(!)そのかけらを取りに行く話など、ジュール・ヴェルヌと大差ない。その他の話も軒並み、ジュヴナイルか御伽噺レベルである。もちろん、対象年齢と作品の良し悪しは比例しないので、ジュヴナイルだからと言って過小評価するつもりはないのだが。少なくとも、小学校の国語の教科書の入っていてもおかしくない(スミスさん、ジョーンズさん、ブラウンさんの話は未だに覚えてるなあ)。
時代的に、核戦争をモチーフにした作品もいくつかあるが、『ぬいとり』『ごみ屋』ともにオチが分からない。
前者は5時が何を表しているのか、後者は、死体のはずか動いていたり、子供が示すものについて(いちおうこの二作は再読してみたんだけどなあ…)


『迷惑行為はなぜなくならないのか? 「迷惑学」から見た日本社会』北折充隆
☆☆
光文社新書

内容的には副題のほうが適当。タイトルはおそらく出版社がつけたのだろう。
学問としての「迷惑学」とは、社会学的なアンケートや調査によって、迷惑行為だと設定した行為の統計を出す。または何を迷惑行為だと感じるかのアンケートなど。
根本的な解決は、予想はしていたが、なくならない、というのが結論である。お互いが、相手の立場に立って考えてみる、というのも、接点がある関係なればこそ通用する手段である。
個人的には、根本的な解決策は、教育勅語を(大人には手遅れだとして)幼稚園から高校まで教えるしかないと思うのだが。
あと、電車内ベビーカー迷惑問題のところで、著書が「じゃあ、筆者のように太った人も迷惑なのか」と、逆ギレとも取れる反問をしているが…。「迷惑だよ!」と言いたい。自転車などを持ち込む時には別料金を取られるシステムがあるが、一定以上のデブには150%の料金を課すべきだ。占有体積で言えば、子供料金があるのと同じ論理で説き伏せられるはずである。