思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

花の中の娘たち


☆☆

総天然色かつ、小泉博が準主役なので、『モスラ』の前後かな? 『ゴジラ』が壊した東京周辺は、白黒のめちゃ昔ではなく、現在の日本と地続きである事に気付かされる……というのはメタすぎる感想かな(^^;)
神奈川は、東京とは多摩川を渡っただけだが、当時は鉄道橋以外の交通手段がなく、まさしく田舎というか、見渡す限りの農村地帯であった。そんな場所で、梨農家である家に生まれた姉妹の物語である。
ストーリーは、定番という、ベタベタで、パッと見てイケてる男よりも、隣にいる朴訥な幼なじみの方が良かった、というもの。
その幼なじみを、小林桂樹が演じている。小林桂樹といえば、『84ゴジラ』の首相とか、重厚なイメージなのだが、本作では完全に三枚目の、『モスラ』なんかでおなじみフランキー堺の役割なのだ。
フランキーは、隣家の幼なじみに惚れているが、彼女は東京のホテルマンとして働きに通っていて、そこの電気工からプロポーズされる。彼が良い職のチャンスを得るのが、アメリカではなく沖縄、というのが時代を感じさせる。
物語的な感想は置いといて、細部の話。
序盤の、兄の墓参りのカットでは、奥をマット・ペイントで合成し、鉄道を画面に入れているのだが、その鉄道がなんとアニメ! パースがついているので、スライドさせるわけにはゆかず、10から20カットくらいの2両編成車両を描いているのだ。こんな面倒なことやった映画って他にある??
総天然色ということだが、まるで人工着色みたい。メイクも頬が真っ赤で、これは当時の流行なのか、白黒時代からの名残なのか、どっちだろう?
演技の問題としては、ヒロインの妹。学校には行っていないし、ホテルマンの姉の妹なので、二十歳前くらいかと思うのだが、すぐに拗ねたり怒ったり、言動が小学生。感情移入して見ていたら耐えられなかっただろう(´Д`)
タイトルの由来は、終盤になって、春になり、田舎だけに、あちこちに花が咲く。前に観た『河のほとりで』もそうだが、当時の作品は、ラストシーン周りの状況をタイトルにするのが流行だったのかな。
作中での頑固親人の語る「百姓が土地を離れたら、日本はダメになる」というのは、現在の保守/右翼思想にも通じるもの。「もはや戦後ではない」と言っていた前後には、まだまともな思想が残っていたんだなぁ。