思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

岡田斗司夫宇多丸師匠が絶賛、ということで読んでみた。
日本のマンガと同じ感覚で読んでみたらダメダメだったが、2回半ほど読んで、ようやく真価が分かった感じ。
要するに本格ミステリードラマ(犯人当てドラマ)として見ればいいのだ。
あちこちに伏線となる描写、記述があるのだが、明示されていないので、一度は読み終えてから再度しないと到底意味が分からないのだ。
中には章の間に雑誌の記事の切り抜き、という体裁で書かれた情報もある。どちらかというと単行本の書き下ろしのボーナストラック、まあ言わば『ファイブスター物語』の『キャラクターズ』などの作者の同人誌的副読本、という感じ。
それらは基本的には読まなくても問題ないことが多いが、登場人物のバックステージなどなので、世界観に深みを与えるもの。唯一の例外が、「超能力者の脳を集めていた」という情報がマンガ内にはなく、そこに数行だけ書かれていたことだ。もしかしたらマンガ内にも1コマ2コマか、あるいは新聞記事としてあったのかもしれない。
そういう小説として以外の情報を混ぜる、というスタイルは田中啓史蹴りたい田中』や、和久俊三『雨月荘殺人事件』などにもあったので、それほど斬新には感じなかったが…。ただし、本作は88年に作られたもの、ということは補足しておきたい。
本格ミステリの手法で作られたSF、というのが最も正しい形式だろう。

ちなみに、マンガとしての陳腐さは、初期の『サイボーグ009』のように、1ページを3コマ×3コマを基本にしたもので、たまに複数のコマをつなげたコマや、3コマをパンショットのように使ったコマもあったりする。コマ割りじたいはそういうレベルだし、1コマ1コマも、止め絵として書かれていて、現代のスピード感ある描線や、集中線などもない。どうやらこれらはアメコミのスタイルとしては定番らしいが、本作に限っては、犯人当てドラマのテレビのフレーム、要するにフィルムコミックとして読めば、日本の読者にも理解しやすいだろう。

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アラン・ムーア デイブ・ギボンズ

小学館集英社プロダクション 2009-02-28


中尾ゆうすけ『これだけ!OJT』

「ホウレンソウを部下に徹底するうえで、OJTリーダーが前提として頭のなかに入れてほしいことが3つあります。(1)部下は分かったフリをする(略) (2)相談してこないときは何を聞いていいかわからないとき(略)(3)悪先良後 部下は、よい情報は先に言ってきますが、悪い情報は後回しになりがちです。」


『さらば愛しきゴジラよ』佐藤健志
☆☆☆★

再読。93年の初版時に読んでいる(立ち読みで!)ので、22年ぶりとなる。
現在では保守の論客として知る人ぞ知る佐藤健志の著作だったんだね…。氏は本書の前にも『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』という本を出し、数年前には『震災ゴジラ』を出すなど、ゴジラにはこだわりがあるようだ。
が、とりあえず本書の内容がもっともゴジラ論的には的を射ていると思われた。中でもゴジラシリーズの変遷の分析は白眉。
「たとえゴジラの来襲が繰り返されたとしても、再度モスラに救援を頼めば問題は解決してしまうではないか。このようにゴジラ撃退の方策が確立されてしまえば、もはやゴジラが脅威たりうるはずはない。
ゴジラを悪役とした怪獣対決路線は、二作めで完全に行き詰まったのだ。」

「「怪獣が『外部からの脅威』として人間社会を襲撃する」という怪獣映画の基本的な設定にこだわるかぎり、『怪獣大戦争』の時点で物語のパターンは完全に出尽くしたのだ。」

「「ゴジラこそ水爆そのもの」というオリジナル版の台詞が説得力を持ちえたのは、『ゴジラ』に本物の水爆が登場しなかったからなのだ。」

などなど。

後半に収録されている佐藤版映画シノプシスについては、初読時は「これこそ最後のゴジラ映画だ!」と思ったものだが、ゴジラの最期を描いた『ゴジラVSデストロイア』を始め、平成ガメラシリーズなどを観た現在では、ゴジラ≒神という図式やレーザー衛星など、まともに作ったら完全にC級映画になるに間違いない代物。そりゃ、テーマ的には提言する要素は盛り込まれているけど、映画としては子供向けファンタジーレベルになってしまってるでしょ。伝奇小説によくある預言者や、超自然性を強調するためとはいえ、ゴジラがテレポートするとかはやりすぎ。
本書を読めば、いかに平成ガメラシリーズがこれら怪獣映画の問題点を自覚しながら、それを回避する作品を作り上げたかが分かる。