思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

この世界の片隅に
☆☆☆☆★

よくわからんが、とにかく心を揺さぶられる作品だった。
一見、ジブリ、特に高畑勲的な、素朴な日常系アニメなのだが、それだけではない。
原作の絵柄が絵柄なので、絵自体には魅力がない。まあ、『おもひでぽろぽろ』ほどではないが…。アニメとしても、宇多丸師匠とか、岡田斗司夫ほどではないが、「動き」そのものにも、それほど凄さや感動があったわけではない。

その魅力のほとんどは、丹念な日常描写の「演出」と、声優の演技であろう。特に、声優部外者である能年玲奈(のん)は、確かにプロパー声優特有のメリハリはないのだが、素朴な岡山弁が最高にマッチしていた。まあ、クライマックスの嗚咽のシーンなんかは画面との違和感があったが、逆に感情を振り切った場面なので気にならない。
声優では、おばあさんが最高に良かった。この雰囲気は『東京物語』に近い。日常系という意味では方言が同じテイストなのだろう。おばあさんが喋っているだけで郷愁で泣けてくるくらい。関西弁ではあるが、岡山弁って何か好きなんだよねぇ。実録極道ものを見ていないからかもしれないけど。
逆に、若手男性陣のプロパーな演技が、岡山弁として違和感があるぶん、不自然さが気になった。私の中の関西弁感知センサーの方が上回った感じだ。

ストーリー的には、すずの妄想(想像)なのか、「現実」なのかはっきりしないところがいくつかあって、そこがもやもやするところ。特に、最初と最後に出てくる狼男みたいなおじさんが、実在するのかどうか。
彼が想像上の存在だとすると、妻として見初めたきっかけがない(映画の中では)ことになるし。現実だとすると、カゴがデカすぎることも含めて、リアリティのなさが気になる。
一つの手がかりとしては、その風貌が後半にすずの兄が南海で漂流した状況を漫画に描いたヒゲモジャ男とそっくり。ということは、やはり実在なのかと思えるのだが…。

ギャグアニメというか、エッセイマンガ的な笑いが全編を通してポツポツと散りばめられているのが上手い。深刻になりすぎず、笑いを忘れない、良質な映画の典型かも。
ギャグとシリアスのバランスとしては、『クレヨンしんちゃん』の『大人帝国』『戦国大合戦』『逆襲のロボとうちゃん』とちょうど反対くらいか。

クライマックスは、最初からわかっているのだが、お隣にしてすずの実家がある広島への原爆投下。それまでは毎回テロップで日付が出ていたのだが、その日だけ、「その9日後」みたいな描写にしているのだ。しかも、すずの日常の描写とカットバック的に編集している。
要するに、「凄いでしょ」「怖いでしょ」的に、畳み掛けるように追い込んでいないのに、それが想像できるのが凄いのだ。
実際に描かれているのはきのこ雲だけなのだが、その高さ、巨大さが伝わる空気感が表現されているのが凄い。
リアリティとしては、まず爆発の光が来て、時間差できのこ雲が見えて、さらに後に衝撃波が来る、その間に、ごく当たり前の日常が挟まれるのが斬新なところ。まさしくこれが日常の中の(後方の)戦争、という本作のテーマの真面目。ただし、最後の衝撃波が、一見地震にしか見えないのが惜しい。登場人物に「地震?」と言わせるべきでしょ?風的なところが描かれていないのが残念。もちろん、後から飛んで来た障子とかは出て来るのだが。

後は、遠景から山の上の高射砲が発砲するカットで、発射煙と発砲音が同時にするのが惜しい。やはり煙の後から音が聞こえるように描いて欲しかった。
高射砲関係は、すずが独白したように、空に煙の花が散在するとか、その破片が盆地一帯に降り注ぐとか、リアリティとして凄い。それによって家屋や住人に被害が及ぶところまで描かれるのだ。それを父の爆睡、というコント的にひっくり返すお笑い的バランス感覚も凄い。

後はオープニングとエンディング、特にエンディングはなんとかならなかったのか。なんか「塗り」の端がはみ出ている、背景が間に合わなかったような、レイアウト切れの見切れているように感じるのだ。それなら、そのあとのクラウドファンディングのロールのように、線画だけで良かったのでは?
音楽では、悪くはないが、主題歌も劇伴も、もっと良くなる伸び代がもっともあるパートであろう。この辺が、制作費の問題なのかも。

好き嫌いの問題かもしれないが、原作の魅力の1つなのかもしれないが、キャラが困った描写として顔を傾けるのが、昭和初期っぽくて、リアリティ重視の演出として違和感があった。『風雲児たち』の2巻のようなテイストだ。
目が(>_<)になるのは、『きんぎょ注意報』的な「崩し」演出としてアリだと思ったのだが。