思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

『世界征服は可能か?』岡田斗司夫
☆☆
ちくまプリマー新書

見るからに薄っぺらで内容のない本だろうとは思っていたが、やっぱりそうだった。
空想科学読本』と同じ路線と言える。
ま、『仮面ライダー』のショッカー的な世界制服が無理なのは言うまでもなく、現代では世界制服に意味がない、という結論はそれなりに納得は行くが。

「世界を支配したあとでできた子供というのは、概して優しい子供になってしまいます。
 若い頃はハングリー精神でいっぱいだったあなたも、その頃にはかなり丸くなっていることと思います。(略)「俺は悪いけど、子供はいい子でいてほしい」と思ってしまうのが愚かな親心です。」
というより自分と同じメンタリティの子供なら、当然自分を殺して、あるいは追放して地位を奪うだろう。


『知的唯仏論』宮崎哲弥呉智英
☆☆☆☆
サンガ

対談だが、膨大な文献が引用、紹介されていて、両大評価家の知識に圧倒される。
気になった本
みなもと太郎『教学博士』
たかもちげん『祝福王』
ブルース・M・フード『スーパーセンス』

「呉 自分を打ち砕く何か、誰かってのはね、なぜ固有名を持っているわけなの?(略)つまり人格性を持ってるでしょう?
宮崎 言語の体系、示唆的な構造の外部にあるはずのものが、どういうわけか名前を持っている。ヤハウェ(エホバ)、アッラーフ(アラー)、阿弥陀(略)こうした局面では「この私」の方は、“純粋実存”といえるまでに個別状況が刈り込まれてしまっているのに、それに対応し、救済する力のほうに個別を表す固有名があるというのはまったくおかしい。(略)言葉で表現できないものに出くわしたとき、言語道断の経験をしたときでも、人は生まれてこの方馴染んだ思考慣習に従って「それ」に名を付けようとするのです。(略)一旦名辞化されると今度は言語の惰性に従って、「それ」を実体視しようとする力が働く。」

「呉 支那偽経がけっこう作られた。盂蘭盆会みたいな、お母さんが地獄で苦しんでいるのをお供えして助けるみたいなね。」
ずっと自業自得の仏教原理に反すると疑問だったが、こういうことなら納得が行く。支那儒教地域だから、そこで仏教を広めるために作られたのだろう。
宮崎氏のあとがきより
ブッダは、資産家や王族などの在家者、または異教徒に説教するときには、まず(略)彼らの固定観念に強ばった心を和らげ、然る後に(略)四諦を教え、(略)この過程を「次第説法」という。
 そのようにレヴェルの違う聴き手に対して説かれた、意図や目的の異なる経典などの言葉を、何の吟味もなく一緒くたにするから大混乱に陥るのだ。」