副題を「中川八洋『大東亜戦争と開戦責任』を読む」としてもいいくらい、同書に依った内容。内容そのものは、読んだことがあるものばかりだったので、復習的な意味合い。というより、参考文献に載っている本の多くや、それ以上の本を多数読んでいる私を褒めたいくらい(^_^;)
「1927年(昭和2年)(略)第一次南京事件(略)日本人は襲われても抵抗しないということが、一度中国人の頭の中に注入されると、事件が次から次へと起こっていったのである。満洲における日本人への迫害事件、洛南事件、第一次上海事変しかり、もっと小さな事件は山ほど起こったのである。」
「1974年(昭和49年)、田中角栄首相と周恩来首相の(略)会談の内容は(略)日本の資産はすべて蒋介石政権に譲渡したことであるから、日本としては毛沢東の中共政権に対し、賠償金を払うのは筋違いではないかと。」
中共に屈服したと思われた田中角栄の日中国交樹立(正常化とは言いたくない)だが、基本的な歴史的知識は持っていたのが意外。
「日本の社会主義化、共産主義化のために、天皇を封じ込めることが出来る人物というか政治家は(略)五摂家(略)の筆頭である、近衛家の若き貴公子、棟梁である公爵の近衛文麿であった。」
「支那大陸で奥地へと侵攻していった時、支那の地方都市で日本軍は、大体民衆から歓迎されていた。それと言うのも、日本軍がやってくると治安がよくなり、経済活動も活発になり、避難していた民衆が続々と戻ってくる体。日本軍が軍規厳正で約束をよく守り、金払いもよかったからだ。支那の民衆にとっては、自国の中国軍より日本軍の治安の方を信用したからである。
そして、支那の地方都市に入っていった場合、民衆から「日の丸の旗」で、迎えられたことがあったという話であった。だから百万を超える日本軍が、8年間も支那大陸に駐留できたのだという説もある。」