思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

『なぜ日本は変われないのか 日本型民主主義の構造』山本七平
☆☆☆★
さくら舎

原題は副題のほうで、1976年に書かれたもの。
乱暴に言えば、『「空気」の研究』を日本の社会システムにまで拡大した論文と言える。
日本においては政治的問題と、社会全体の空気としての捉え方がシーソーのように繰り返す。
その例として挙げられているのが、天皇機関説騒動と安保闘争だ。いずれも、最初はその中身が問題にされていたのに、それがいつの間にか、騒動それ自体が目的化し、その空気に乗らない人物は排斥されていくようになるのだ。

「今になって新聞は“戦争責任”を口にする。しかし、三十年前の8月15日においては、責任追求を封じ、この問題を戦争の被害者とともに切り捨てよと論じたのは実は新聞なのである。
もしも新聞が戦争責任を論ずるなら、まず第一に、この態度に対する痛烈な自己批判が先行しなければおかしい。それをしない戦争責任論は、一種の「責任のがれ論」にすぎないであろう。」

これについては証拠として、開戦時、終戦時、二十年末の朝日・毎日の社説を掲載しているので、一目瞭然だ。

「少なくとも現在までは、われわれは、西欧を模範にして、その行き方のまねをし、「西欧がこういったから、これが正しい」で、社会的統合ができた。(略)いま、要請されていることは、新しい事態に対処すべく、自己の伝統に基づく、自らの、最も混乱の少ない社会変革の方法論であろう。」

何かというとすぐ「イギリスが…」「スウェーデンでは…」「グローバルスタンダードだ」などという枕詞が誤っていることは、三十年以上前からすでに指摘されてたいたのだ。