思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

ゴジラ対ヘドラ

☆☆☆

観るのは20年以上ぶりか。
これ、『初ゴジ』を観る際に、大東亜戦争、なかんずく米軍による東京大空襲を避けては通れないように、70年代の風俗を避けては語れない。もちろん、私も世代的に実体験はないので、仄聞しただけなのだが。
公害問題を筆頭に、ゴーゴーダンスだなタケノコ族だかのヤケクソ、ドラッグ、そしてヒーローとしてのゴジラ
半世紀後に、ハリウッド版ゴジラが環境問題を下敷きにリメイクされてことを考えると、本作はヘドラこそがゴジラであり、ゴジラウルトラマン。つまりは、『ウルトラマンゴジラ』である、と言えなくもない。
ラストの対ヘドラへの放電作戦も、ゴジラ映画の伝統ともいえるが、ヘドラの足止めどころか、ゴジラが電気が来ないのを、自分の放射熱線で代わりにする。これ、放射線は高エネルギーだから、とか、それっぽく化学的なようでいて、なんでも溶かす放射火焔の接着とは矛盾するもの(^^;)
一方で、『キングコング対ゴジラ』で、ゴジラには高圧電流は効かない(帯電体質)、という予備知識が必要だったりする。
ゴジラの行動原理に、ウルトラマン的な知能が必要である点を除けば、それなりによくできた構成ではある。
ヘドラが上空を飛んだだけで、下の人々が骨になるのに、ヘドロ玉がすぐ隣りに着弾しても、主人公のガキはピンピンしているとか、細部の描写は、穴だらけだが。
ゴジラが飛ぶのは問題外(^^;) というか、そもそも飛ぶ必要ないんだよなぁ……。物語的にも、状況的にも。いわゆる「シェー」と同様の(間違った)ファンサービスに過ぎないのか、あるいは先に書いた通り、「ゴジラウルトラマン役ですよ。ほら、ウルトラマンと同じく空を飛ぶでしょ?」ということなのか?(今、気づいたが)