思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

『血液型の化学 かかる病気、かからない病気』藤田紘一郎
☆☆☆☆
祥伝社新書

血液型とは、生物の免疫力の種類のことである。最初に発見されたのが血液の赤血球というだけで、腸内を初め、全身に関係がある。

「発見時の順番で(略)血液が凝集した順番にA型、B型と名づけ、凝集の起こらなかったものを0(ゼロ)型としました。いつしかその0(ゼロ)がO(オー)に転じ」

「Rh式血液型は(略)18種類まで確認されています。(略)RhプラスとRhマイナスの二種類(略)臨床的にはこれで十分」

「人類の血液型はすべてO型だったものが、農耕民族の一部からはA型が生まれ、遊牧民族の一部からはB型が生まれ(略)彼らの混血の結果、AB型がごく最近になって生まれた」

「免疫学から見た体に合う食物、合わない食物(略)
A型
体に合う食物
豚肉 ナマズ ウナギ
体に合わない食物
羊肉 クジラ ハマグリ カメ ワニ」

体に合わない食べ物って、日本人が普通に生活していれば、まず食べないものばかり(^_^;)さすがは日本列島に適応した人種だけある。

「梅毒はもともとアメリカ大陸の地方病でした(略)当初の感染力は凄まじいもので、人類が絶滅してしまうのではないかと危惧されるほどでした。(略)O型の人は梅毒に対する抵抗力があったため、O型以外の血液型の人が淘汰され、(略)アメリカ先住民の90%がO型である」

つまり、血液型ではなく、より正しい意味に近い「Rh式免疫分類」とかいう名前なら、いわゆる血液型性格分類なんてなかっただろう。日本では、A型B型O型AB型が、一桁整数比くらいの差しかないからこそ蔓延したとも言える。
敢えて言えば、血液型性格分類というミームに対する免疫が(A型)日本人にはなかったということか。

斎藤智文『世界でいちばん会社が嫌いな日本人』を読む

印象に残ったところ

経営者の個人的体験を元にしたものではなく、研究者として、主に海外の優良企業の、社員満足への取り組みを紹介したもの。

「「仕事のやりがい」と「組織における働きがい」は別のものである。「仕事のやりがい」は、個人で得ることができる。(略)「組織における働きがい」は個人の心の持ち方だけで得られるものではない。」

「会社を辞めるのは(略)多くは組織の中で信頼関係を失ってしまったためである。」

「組織を改革する時は、粗探しをしてはいけない。組織の持つ強みを「発見すること」「伸ばすこと」(略)それぞれの従業員の「取り柄」を生かすことも大切である。」

「SAS(略)CEOのジム・グッドナイト(略)氏の発言(略)「経営トップの使命は、従業員が最も仕事がしやすいように奉仕すること」」

シリコンバレーザイリンクスという半導体の会社がある。(略)ウィム・ロレンツ(略)氏は(略)名経営者として誉れ高い方だが、「世の中には、結果やパフォーマンスを第一に挙げる経営者がいるが、私はそういう考え方は間違いだと思う。結果を求めるだけで結果が出るわけではなく、あくまで結果を出せる環境を作らなければ、いい結果は出ない。経営者は環境を作る努力をすべきで、そのほうがいい結果を得られる」」

キングスマン
☆☆☆★

舞台をアメリカにする案もあったというのが信じられないくらい、イギリスらしい映画だ。『銀河ヒッチハイク・ガイド』とか実写『サンダーバード』みたいな、原色がビビッドな色調。
内容的には『ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション』みたい。公開はこちらが先のようだが。スパイ映画というのもそうだが、仕立屋が重要な位置を占めるところとか。
よい意味で『Miローグ』と同じく、メジャー狙いのように見えるが、『映画秘宝』が喜ぶB級ど真ん中の作調である。
悪役の秘書が、身体が武器になっているとか。両足がアスリート義足で、なおかつ板バネが刃になっているとか、『片腕マシンガール』か?!という感じ(^_^;)このアイデアだけで1本作れるくらい。
アクションは一見スタイリッシュだが、香港映画のほうの『クローサー』 とか、『マトリックス』なんかと比べると、キレや形の美しさがイマイチ。
英国的スタイリッシュさと並ぶ本作の2本柱がグロ描写。腕が切れたり、色んなものが身体に刺さるのも面白いが、真っ二つに切れた顔を繋ぎ合わせたエンバーミング(屍体)のアップもなかなかエグい。
その最大のものが、何十~何百人の頭が爆発するラスト。流石にグロすぎるからというか、逆に本作のフィクション性を強調するためか、ここはコメディ調に処理して、いかにもCGですよ、という感じになっている。
何しろ、世界中の各都市で暴動が起きたるなど、死傷者の数の多さがという点では、天災ではない、戦争や軍や政治家の暴走以外の人災としては映画史レベルでは?
本作で1番良かったのが、悪役が主人公のメンターを拳銃一発で殺したあと、「最悪だ」的な気持ち悪さを吐露すること。これだけ人が死ぬ映画だが、やはり殺人というのは宜しくない、不快なものであるということを(ここでだけ)言っているのだ。ある意味、ここだけが本作の大量の人死に描写の中で、リアルな殺人を表現しているのがもしれない。
なお、主人公のスーツは、あまり似合っているようには感じなかったなぁ……。

イニシエーション・ラブ』☆☆☆☆

原作を読んでいたので、B面の真ん中くらいで仕掛けは予想がついた(確信したのは本のくだり)。
だが、最初から面白く見られた。冴えない男がモテる、という展開に共感を抱いたのかなぁ……。
でも実は前田敦子も可愛いとは思ってないので、美男美女ではないカップル、というところが良かったのか。
なのでB面に変わってからも、中身があの男だと思えばこそ、ハンサム持て男の話でも、反感を持たずに見られたのか。
本編のラストで分かる仕掛けの後に、テレビか?というくらいバカ丁寧に伏線の解説動画がついている。再録だけではなく、新たに分かる情報もあるが、これは蛇足では?「どうなってるの?」という観客がリピートするという宣伝効果もあると思うのだが……。
なお、何度も出てくるホテルはスーパーヒーロータイムではお馴染みの、茨城県にあるもの。じゃあ、舞台は静岡県じゃなくて茨城県というトリック?などと考えるのは無駄足なので年のため(^_^;)

と、ネタバレなしはここまで。

ラストは、二人が会うところで終わったほうが美しかった。ホテルの受付などの新事実(舞台裏)こそ、エンドロールに流しては?
唯一、手がかりとしてはっきりしなかったのが、静岡のたっくんと会うの曜日をずらしたこと。お泊まり(寝ること)がありになったことで、土曜に東京のたっくんと鉢合わせる危険を避けたから?
不満としては、前田敦子の動機が不明なこと。ラストカットは、彼女のリアクションのストップモーションにすべきだろう。「テヘペロ」的なのか、悪魔または小悪魔的な表情なのか、どちらにせよ本作の印象は全く異なるものになるだろう。まあ、あだ名を無理矢理揃えた当たり、確信犯だと思うけど。小説なら、トリックのための存在として、そこまで気にならないが、実在の人物が演じる映画だと、そのへんが気にならざるを得ないのが面白いところ。

なお、本作の登場人物で最も割りを食ったのが静岡のたっくんだ。前田敦子と東京のたっくんは共に二又。東京の美弥子は彼女の存在を承知。静岡のたっくん(と視聴者)だけが前田敦子の二又を知らないからだ。
まあ、女に縁のなさそうな彼にも、曲がりなりだが付き合えたのだから、良しとせねばなるまいか……。哀しいけどね。

ミステリとして、本作の最大のレッドヘリングが「痩せたら格好いい」という台詞と、「A面からB面に変わるようにガラッと変わった」というモノローグであることは言うまでもないだろう。あとは日付の字幕ね。個人的に最も感心したのが前田敦子の「体調を崩した」くだり。
あ、もちろん、前田敦子の純朴そうなキャラが最大のミスディレクションであることは言うまでもないね。
欲を言えば、劇団関係のエピソードがトリックに絡んでいればなお良かったかな。

『神は細部に宿るのよ(5)』久世番子
☆☆☆☆

久しぶり(3年ぶり)に読むと、なかなか面白い。ファッション周辺のトリビアと、オシャレ川下住民の自虐ネタだから。川上ならともかく、川下住民の思いは男女問わず共感できる、というのが面白い。
いろいろ「なるほど」と思うことがあったが、最大のものは十二単。絵に描かれている、直線的なラインは、様式美的デフォルメだとばかり思っていたのだが、実は(歌舞伎みたいに)糊を効かせた、実際にパキパキなものだったそう。

大東亜戦争への道』中村あきら
☆☆☆☆☆
展転社

ハードカバー660ページ。文字級数は最近の大きめな文庫と同じ。大著だが、中身も堂々たるもの。
いつものように重要ポイントを引用しようとチェックしていたら、33箇所にもなってしまった。
ある程度、東京裁判反日史観ではない動画や書物で、基本的な歴史的事実を知っている私ですらそうなのだ。反日教科書とマスゴミからしか近代史を知らない人が、いきなり本書を読む時の衝撃たるや、想像を絶する。
ただし、本書は、小堀圭一郎氏の著作などと同じく、文語体(「こう」が「かふ」とか、「いう」が「ゐふ」)で書かれていることも手伝って、気軽には読めないだろう。
個人的な希望としては、高校の歴史の授業の教科書にして、1年かけて読み合わせするべきだと思う。テストなんていらないから、全国学生が本書を通読するだけで、日本は一発で復活する。

なんとすれば、大東亜戦争が、どういういきさつで引き起こされたのか、本書を読めばつぶさに分かる。
乱暴にひとことで要約すれば「ロシア人の侵略から日本を守るため」である。
日清戦争とは、清国のみならず、韓国上層部を弄絡していたロシアを追い出すためでもあり、日露戦争は、言うまでもない。
そして占領政策後抹殺された不都合な真実の双璧である、尼港事件と通州事件。これらを筆頭に、いかに支那人たちが日本人を襲撃、虐殺、惨殺したか。そしてその裏には、アメリカの半ば公然の支援、そして(本書は『ヴェノナ文書』公開前なのでそこまで触れていないが)コミンテルン(つまりはロシア人・ソ連)がアメリカと支那人たちを使操していた。
それはともかく、支那において、専守防衛ならぬ先守防衛に徹していた日本軍に、いかに支那ソ連軍が条約違反や挑発(つまりは銃撃・砲撃・虐殺)を繰り返したか。日本人が支那に侵出した後から、幾度となく出てくる○○事件という数の多さがこれを如実に示している(授業でテストとなると、こんなのを覚えないといけないと思うと、学生のやる気がなくなるので)。
そして大平洋戦争(本書では、対米開戦すなわち真珠湾攻撃大東亜戦争としている)開戦まで、いかにアメリカが、言を左右にして日本の攻撃を誘ったか。
共産国の常套手段として、自分たちの非道を、相手国のしたことにすり替える、ということがあるが、本書にある史実と戦後教育で我々が習ったことと比較すれば明らかだ。何しろ、本書には当時の数々の当時の記事や支那ソ連アメリカ側の証拠・資料が載っている。
少なくとも、対米開戦までは、ほとんど不可避であったということ、そして日本軍がやったとされる蛮行は、そっくりそのまま支那人及び白人たちに返す、ということがよく分かる。