思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

BSアニメ夜話の裏側

岡田斗司夫のサイト
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/
や、唐沢俊一の日記
http://www.tobunken.com/diary/diary.html
の3月8日(収録日がこの日だってことやね)
を読むと、いろいろ放送とは別の面が見えてきて面白い。

収録のほうが番組のクオリティは上だと思っていた私だが、
ちょっと考え方を変えた。
徹子の部屋』のようにほぼ放送時間ぴったりの撮りきりなら別だが、
編集で縮めるタイプの討論番組だと、
切る部分によっては論旨が180度変わってしまうこともあるのか…。

そう考えるとTV番組のディレクターというのは
もっと表に名前を出さないと駄目なのだろうなぁ…。
(クレジットには載っているのだろうが)

雑誌のインタビューとかだってまともな編集者は記事の原稿の時点で
当人にチェックしてもらうのが普通なのだ。
(三流誌はそれをせず、揚げ足取り時に悪意を抱かせる内容に仕立てるらしいが)
TVにしてもそういう制度ができないものか。
特にこういう個人の主義主張に関連する部分は。

だって前半褒めて後半にけなす、という伏線を使ったしゃべり方をした場合、
どちらか片方だけ放送されると発言者の意図は完全に覆されるもんね。