思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

「ゴジラ FINAL WARS」

二回目

基本的には好きな作品だ。特にゴジラが南極で復活させられるまでは、マイ・ゴジラ映画ランキング2位の『ゴジラモスラキングギドラ』『ゴジラVSビオランテ』を越えるくらい楽しい。終盤になるほど「!?」が増えていくのはやっぱり問題だが…。

まず、気になったところから。

30分はカットした(=二時間半のディレクターズ・カットがDVDで出るということか)ということだが、それが完全版にせよ、カットの仕方がおかしい。当然入れるべきカットが抜かれている。

ゴジラ復活シーン。目のアップから、という意図はいいのだが、その後には氷の中から出てくるカット(細かく割っても5〜6カットはいる)が必要だ。

ゴードン大佐と水野真紀との恋愛。初回では気づかなかったが、今回見てみると、轟天号出撃時にはすでにデキている。エンディングではゴードンと音無姉妹の三人で話しているカットが映っているが、その経過を入れないなら、二人の関係を示唆するカットは全てカットすべき。それを抜くとシーンの整合性が取れないならともかく、充分成り立つし。だいたい会ってから轟天号出撃まで数時間もないでしょ?しかもその内一緒にいる時間は三十分もあるかどうか。無理があるでしょ…。

菊川怜の心情の変遷を表わすカット(シーン)がない。なんでもかんでもすぐ推理して当ててしまう都合の良さは目をつぶるにしても、「私の研究って何だったんだろう」とかいうシーンも、M塩基の謎を解明したりしていて充分役に立っているわけだから、世界の終わりに際しては歯止めにならない、とかいう(菊川怜がどう受け止めているかというリアクション)前提を描かないと、意味不明になっている。

モスラの出撃、小美人の周辺は、軒並み描写不足。これまでのシリーズを見て、モスラや小美人がどのような役割で、どのように出現するか、というシーンを補完してやらないと、あまりにも不親切。

ミニラ関連のシーンは、(泉谷しげるも含めて)とってつけたようで、浮きまくっている上に説明不足。あのラストにするために逆算的に配置していったのだろうが、意味的に、というより時間的に単に何等分かして置いていったようにしか思えない。ミニラだけはラストの幕引きの最大のキーになっていることもあって、絶対に説明の手を抜いてはいけないキャラクターなのに、酷すぎる。

ゴジラにエネルギーを与えるシーンも問題。菊川怜が一目見ただけでそう判断するのだが、“正義の味方”ゴジラならともかく、本作では“凶暴な人類の敵”なのだから、とりあえずあの状況ではギドラを攻撃する、という発想になるはず。

エンディングは、一回目ほどではないにせよ(絶叫しそうになった)、しょぼすぎることに変わりはない。メロディーはともかく、オケ編成(音色)が薄すぎる。どうせシンセにするなら川井憲次に書かせろ!

良かったところ。

人間のアクションは基本的に良かった。リアルというより、北村流の様式美(リアリティなしのケレン味だけ)なのだが、それが受け容れられる人なら楽しめると思う。長さにしても、冒頭の松岡VSケインなどは長いかと思ったが、二回目には気にならなかった。

なにより、3DCGのスタントダブルを使っているであろう激しいアクションが、スクリーンで二回見ても分からないくらい調和していたのには驚かされる。魚谷さんの刀のコマ落としはバレバレで、そこだけ引いたけど。

あと、この作品、オープニングがあるにも関わらず、タイトルだけラストに出る、という珍しい構成になっているのが面白い。誰もこんなところに注目しないだろうけど…。