思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

#映画 鋼の錬金術師

鋼の錬金術師
☆☆☆

原作は7巻くらいまでいちおう読んでいて、アニメは未見。それくらいのゆるいファン的に見れば、意外と頑張ってたんじゃないの? というのが感想。
基本的にはコスプレ劇なんだけど、明確に浮いていたのは内山くんぐらいで、その次が本郷奏多と本田翼(この2名のキャラは、誰がやっても難しいとは思うけど)。あと、ちょっと別の次元の問題で、小日向さんの隊長役というのは、ふざけているようにしか見えないので、完全にミスキャスト。
逆に、アルフォンス のCGは、少なくともテレビ画面で見る限りは本物と区別がつかないくらい素晴らしい完成度。
軍人たちのキャスティングはどれも好き。一見、批判されそうなディーン・フジオカも、終盤の感情をあらわにするところ以外は、原作キャラの雰囲気も醸し出されていたと思うし。これまでは特にいしきしてなかったけど、個人的に本作の蓮佛美沙子が好き(^_^;) あと、主人公は、ジャニーズとか関係なく、普通に見られただけでもすごいのかも。
また、これまた個人的に大泉洋には飽き飽きしているんだけど、こと彼が終盤で「その通り!」というセリフの言い方が「アタック25」の児玉さんが言う言い方(漫才コンビ華丸大吉の物真似でおなじみ)だったのには爆笑。
おぼろげな記憶ながら、基本的には原作に忠実だったような気がするが、少なくとも実写で見ると、あの世の入り口にかすみのような悪魔っぽい存在がいたり、アルフォンスの肉体が、それも成長した裸の男が座っているというのは、「等価交換ってそういうこと?(当時の子供ではなく、あの世で誰かが栄養を与えて世話してるの?)」と、ドン引きしたけど。
あと、ロケ地が、海外にも行っているところに気合(と予算)を感じるが、逆に国内でも、洋風の建物にあるところにはあちこち行っていて、和歌山マリーナシティは行ったことがあったので全部のショットが分かったし(ここは『ルパンの娘 劇場版』でも使われてたね)、あとは実家に近い神戸フルーツフラワーパークとかが出てきたのには驚かされた。

以下ネタバレ

原作で、この段階で賢者の石の正体が描かれていたのかは忘れたが、この続きは、本作がヒットしないと有り得ないことを考えれば、ここに入れるのは妥当な判断だろう。ただし、それが『エヴァ』っぽい上に、CGっぽさがもろに出た怪物で、しかも弱いというのは減点要因だったかなぁ・・・。

♯映画 ナイル殺人事件


ナイル殺人事件
☆☆☆

言わずと知れたクリスティの名作、ポワロものの最新映画。私的には、はっきりと分かる俳優はガル・ガドットくらい。テレビ吹替では、画家のおばさんを榊原良子さんが当てていたくらい。
舞台が第二次大戦前という事もあってか、背景のほとんどがCCという、まるで最近の中国映画みたいなチープさが終始気になった。ルックも彩度とコントラストも強めだし。
ただ、『英国式庭園殺人事件』の監督ではないけど、左右対象の構図がちょくちょく出てきたのが強く印象に残る。
印象に残るという点で言えば、ガルは、『ゴジラVSビオランテ』の沢口靖子的な友情出演なのか? というくらい序盤しか出てこない。ポスターにはど真ん中に写ってるのに(^^;)
なので、そこまでのインパクトはなく、代わりに、ガルに許嫁を取られる娘役の人が、ローラみたいで、しかも下瞼をピクリと動かす、みたいな細かい演技もあって良かった。
ミステリーとしても、伏線というか、手がかりもしっかりあるのは、さすがはミステリーの女王原作というところ。
とにかく船内でも、窓の外の景色がCGなので、チャチさがぬぐいきれないのが残念。いっそ冒頭や船に乗るまでをバッサリカットして、船内劇にしぼってらそのぶん背景CGとのマッチング精度を上げるようにすれば良かったのでは?

以下ネタバレ

序盤に、ピラミッドの絵を描いている時は気づかなかったが、中盤で、絵描きのおばさんの声が榊原良子であると分かったので、すわ、こんな大物が声を当ててるんだから犯人に違いないと思い込んだのだが、そうではなかったのは、キャスティングの巧みさ。
犯人は、元恋人に撃たれたとみせかけて、脚を怪我した自分を容疑者圏外においといて、その夜にガルを殺して、その財産を奪った上で元恋人(偽装破局だった)と駆け落ちしよう、とした新郎。
時代的に、空砲で撃たれたと時の偽の血糊を、油絵具のカーマイン・レッドで表現したという設定だが、ペトロール等での薄め具合が難しいし、なにより色味が違うんじゃないかなぁ……。ただ、そのあとで、偽装のためのハンカチを川に捨てたので退色し、ピンクになった(本物の血なら褐色になる)ことが証拠になった、というプロットはなるほど、だが。
犯人が、妻を殺すに際して、船旅の同行者として、妻を殺す動機のある人ばかり集めた、というのもいかにもクリスティらしい。
あ、ちなみに真犯人はこの夫ではない、というのも面白い。

♯映画 ネイビーシールズ 空港占拠

ネイビーシールズ 空港占拠
☆☆☆☆

原題は『ワン・ナイト・アタック』?
邦題に『ネイビーシールズ』とつく作品が多くて迷惑なので、本作も微妙なドンパチ映画に、この邦題を頭につけて少しでも売ろうとした凡作だと思って、暇つぶしに見始めたのだが、とたんに「あれあれ……!?」と驚かされる。これは何かは、観て驚いて欲しいので、ネタバレ欄で書くが、たぶん本作のレビューを書く人の大半が真っ先揚げるであろうことだ。
本作のヒロイン枠に当たる女優さんは、知らなかったし、たぶん有名でもないと思うが、ブロンドの腰くらいのロングヘアを三つ編みにしたスタイル。私的には良いのだが、CIAでそんな人いるだろうか……?(^^;)事務職ならともかく現場の人で。
アクションも、『国岡』的なリアル系ファイトで、かつあちらよりもスピード感と重量感もある。ガンアクションも、迫力充分。
隠れた秀作というか、力作。

以下ネタバレ

冒頭に書かなかった本作の凄さというのは、全編ワンカットだということ。たぶんCGとかを駆使して繋いでいるのかもしれないが、『8番出口』序盤や、『ナイトクローラー』などの、他の映画なら逆光や柱などでごまかして繋いでいるような、(もちろん空港だから画面を柱が横切るのだが)わざとらしい部分は全くなく、目を皿のようにして観る(私のような意地悪い)人以外は、ワンカット映画と断言するのではないだろうか。それだけ凄い。
本作のワンカットの感じは『カメラを止めるな!』に近い。同作の前半のガチ・ワンカットと、後半の、同じ内容をスピード感をアップして描いたものを合わせたよう。
何より、ワンカットなのに、迫力の銃撃戦あり、特殊部隊ならではの近接格闘あり。しかも、『国岡』以上のスピード感と重量感があるのがとんでもない。でも、うるさく突っ込むなら、すらっとした黒人テロリスト(傭兵?)と主人公が戦うシーンに限ってで、飛行場でのヒゲの白人との白兵戦はやや鈍重(^^;)
作劇としては、テロリストだと疑われた先述の三つ編み女が、哀れな感じで弁明していたわずか1、2分後には本性を表して攻撃してくる、というテンポの良さも面白い。
また、この手のワンカットものは、カメラが主人公の側に張り付いている事が多いが、本作では、テロリスト側にも自然に移り、敵の事情も観客に説明臭くなくわかるようになっているのも巧み。
作劇的にちょっと不満があるとすれば、そもそもテロリストの移送として連れられてたアラブ系のおっさんを、敵も味方も、爆弾のありかや、背景を聞き出そうとするのに、頑なに「何も知らない」ととぼける事だ。なんやかんやあって、最後の最後には、三つ編み女が、捉えたおっさんの妻の妊婦の腹をなぐれと命令することで、あっさりと白状する。それまで自分じしんが太腿をナイフで抉られても喋らなかったのはエライが。

♯読書 魔女狩り

魔女狩り 西欧の三つの近代化
黒川正剛
☆☆☆
講談社選書メチエ

魔女裁判の弁護人』を読んで、わりと史実をベースに書かれていた事から関心を持って、魔女裁判について知りたく読んだもの。
ただし、本作は魔女裁判の具体的なところは、同作以上のことは書かれていない。魔女狩りについてのキリスト者からの擁護派と、批判派についての文献が紹介されているに過ぎない。まあ、論文チックといえぱ、そんな内容。

「南ドイツを拠点に活動する著名な画家たちが魔女の図像を制作した。それらの木版画や素描が複製されえ流通することによって(略)魔女のサバトをはじめとする「目撃されたことのない」事象が視覚メディアを通して(略)現実かつ真実の事象として固定化されるということが起こったのである。」

「ジアルンコが描くサバトの情景は、ブルボン朝の秩序ある宮廷舞踏会を象徴的に「さかしま」にしたものにほかならない。」

サバトで行われるさまざまな儀式は、正統カトリック教会の儀式を転倒させたものである。」

ここから分かるように、魔女やサバトの乱交を直接の目撃した著者は全くいない。いわゆる日本史における「転んだ」元キリスト者、現代的に言えば、洗脳が解けた人の著書はひとつもない。
どうやら、たとえばバスク地方のような、キリスト教カトリックにとって都合の悪い「野蛮人」や反対派を弾圧する口実に過ぎなかったとみて良さそうだ。

「処刑された魔女の数は、15世紀前半から18世紀後半で約四万人を数える。」

それでいて、この結果。約300年なので、1年に300人ちょっと、すなわちヨーロッパ全土で毎日一人が殺された事になる。ミなんとか推計で考えると、各町村で年に一人くらいか……。中世的な差別や生贄の風習の一瞬と考えると、腑に落ちる範囲かも……。

#映画 コールド・ウォー 香港警察 堕ちた正義

コールド・ウォー 香港警察 堕ちた正義
☆☆☆

『コールド・ウォー 香港警察 二つの正義』の続編。その前作は、犯人を捕まえようとする中で、見方・身内であるはずの警察内での権力闘争が絡むというのが面白かった。
だが、本作では(ネタバレでない範囲で言うと)事実上、警察・政治家の権力闘争が香港市街にも拡大する、という感じ。なので、外国の、映画で勝手に考えた登場人物たちの権力闘争なんて、どっちが勝とうがどうでもいいわ(´д`)と思えて、全く乗れなかった。主人公の警察庁長官アーロンはかっこいいんだけど。あとは、彼をサポートするチャーリー・ヤン女史が、まさにデキる女、という感じで良かった。

以下ネタバレ

冒頭で、前作の犯人としてようやく逮捕したリーの息子ジョーが、序盤で犯人から手引きで脱走するが、銃撃戦の末に死亡してしまう。
それで主人公に恨みを抱くリーに、サイバー企業で、香港の官軍に売り込みを狙う社長が、リーたちが再び権力の座につくようにクーデター的な計画を実行に移す。
リーの別働隊として犯行を実際に行うのが、数年前に死亡したことになっている元警察官たち。
いっぽうで主人公のほうも、例の顔の細長いサイバー犯罪課にいる青年とともに、ハッキングや盗聴を駆使して彼らの正体を探る。
彼らのアジトである廃車処理場に乗り込んだ時に、犯罪者たちが爆弾をしかけて特殊部隊を返り討ちにするのは前作を踏まえたテだが、さらに派手になっている反面、CGなのも明瞭なので、あんまり効果を上げているとは言えない。
ラストも、社長に犯罪の証拠を持って、国外逃亡前に逮捕するかと思いきや、「二度と香港に帰ってくんな」というだけなので、ある意味法律を踏まえたリアルな政治闘争劇ともいえるが、カタルシスは弱いし。

#映画 プロジェクトV

プロジェクトV
☆☆☆

原題は『急先鋒』、英題は『VANGUARD』。フランスに本部があるヴァンガードなる警備会社のボスを勤めるのがジャッキー。中東の金持ちの手の者から狙われた中国系金持ちとその娘を守るのが今回のミッション。当然、「沈黙」シリーズのごとく、『プロジェクトA』からのつながりは、ジャッキー主演という以外はゼロ。あと、主題歌もジャッキー。邦題は、『PROJECT VANGUARD』の(略)だろうね。
ボスながら、ミッションには現場で部下と共に最前線にいるのがジャッキー流。
内容といえば、『ビースト』のようにCGライオンなど野獣との対峙あり、『ブラックホーク・ダウン』のようなアラブ系市街でのRPGに討たれるシーンあり、『ポリスストーリー』ばりのデパート的な屋内でのスピーディーな複数相手の肉弾戦あり、『カンフー・ヨガ』的なドバイでのキンピカのスーパーカーのカーチェイスあり。そして、本作のウリは、川での水上バイク。エンドロールのNGシーンでは、(本編では滝の直前で踏みとどまる場面にあたるが、当然滝はCG)タンデムで横倒しになり、足を挟まれたのか、溺れかける危機一髪の事故あり。
上に挙げたスタント的な見せ場は、感覚でだいたい7割くらいが若手俳優が演じている。それぞれのアクションのキレじたいは悪くないのだが、CGであることがバレバレな舞台や武器もあって、やはり臨場感と、それに付随する緊張感も持てないのが残念。キンピカのランボルギーニやハンビーもCGっぽいし。
あと、ヒロインはヴァンガードのチームにひとりと、金持ちの娘の二人でてくるが、どちらも私的な好みではないし(^_^;)

#読書 インド映画はなぜ踊るのか

インド映画はなぜ踊るのか
高倉嘉男
☆☆☆☆★
作品社

インド映画の紹介というより、インド人にとって映画とは何か? というところから、インドにおける映画文化論みたいなところをインドに12年住んで語学の勉強をしていた著者が解説したもの。日本やハリウッドとは全然違ったもので、驚きの連続だった。
今回は量も多いので、以下の引用箇所は私が勝手にまとめたものにします。

カンヌ映画祭で配布される情報誌によると、2019年に作られた映画は2524本。中国で1037本、アメリカでも814本。日本は689本」

「1961年の国勢調査では、インドには1652の言語があるとされた」

「インドで公用語とされている言語は、英語を加えて23」

「それぞれの地域には地元のスターがおり、その支持層は基本的に地元に限定される」

「デリー近郊の新興都市が、まだ単なる荒野だった時に最初にできたのが映画館」

「挿入歌の歌詞を味わえるようになると、インド映画の本体はストーリーではなく歌詞にあるのではないかとすら感じてくる。字幕を頼りに鑑賞する観客にはその味わいが伝わらない。」

「インド映画は、米国のミュージカル映画よりも日本の歌物語に近い。」

「歌詞と音楽では、音楽が先に作られる。作詞家は脚本やメロディーをきちんと踏まえて歌詞を書いているので、ストーリーと親和性の高い歌詞になる。」

「ダンスを踊るのが人間の証だとすれば、事あるごとに踊っているインド人はもっとも人間らしいということになる。そして踊りに満ちたインド映画は、もっとも人間らしい映画ということになる。」

「スターは製作費の3割に及ぶ莫大な報酬を得る代わりに、映画の成否についての全責任を負う。失敗作となった作品のスターが配給業者が被った損失を自らのポケットマネーで補填したこともある。」

「残念ながら女優を見るために映画館に行くというインド人にはあまり会ったことがない。」

「インドのスターたちは弱者の救済者として事前活動に熱心だし、愛国者として兵士たちの慰問にも協力する。スターは24時間体制でスターであり、プライベートはない。」

「あまりにスターの人気が白熱すると、そのスターは映画内で、無傷で無数の敵をなぎ倒すようになる。」

憲法が禁止しているのはカーストによる差別だけで、カースト制度そのものは残存している。」

「インド人が結婚相手を見つけようと思ったら、宗教、カースト、出身地、氏族、占星術などの条件を満たす必要があるので、恋愛結婚よりも親が決めることがほとんどになる。必然的に恋愛を称える映画も少ない。」

「どの地域の映画であっても、愛国心という土台がゆらぐことはない。そもそも反国家的な映画は検閲を通らない。」

ヒンディー語映画が遂げた進化の最高到達点が『きっと、うまくいく』」