思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

さがす

☆☆☆

地味すぎるタイトルや主演俳優陣ながら、やたら評判が良かったので、『空白』みたいな映画かと思ったら、ちょっと違った。『淵に立つ』がいちばん近い感じ。
母が死んで、父親(佐藤二朗)と暮らす中学生の娘。連続殺人犯を目撃した、なんて日常会話をしていたある日、突然、父親が失踪した。父親を探す娘は、小豆島(作中では別の名前)で変わり果てた父を発見する。
そこから、「3年前」というテロップが出て、父と殺人犯の接触のきっかけか語られる。殺人犯は、ツイッターやラインで、自殺願望のある人を探し、金を巻き上げた上で殺しを繰り返していた。
リハビリ施設で働いていた彼は、主人公の父が、ALS(筋萎縮症)になった妻のリハビリ中に殺人犯と出会う。妻が闘病に疲れて死にたいと漏らしているのを知り、殺人犯が佐藤二朗の妻を殺してあげようか? という提案に乗ってしまう。
観る前に他のネタバレなしの感想などから抱いていた想像では、娘が父親の失踪を追って行くと、ヤクザ社会なんかよりも怖い日本の闇に飲み込まれて行く、というような話なと思っていた。あれ? 合ってるなぁ(^^;) 思っていたよりも、個人的な理由だった、ってとこか。
いくつかネタバレ感想動画とかも見聞したが、本作の舞台が大阪のみならず、西成である、というところに注目したものがほとんどなかったのは問題だったかも。まあ、日雇い労働とか、人の失踪とかが当たり前である、という前提から逆算された舞台設定にすぎなかったのかもしれないが……。『じゃリンコチエ』みたい、という感想がいちばんしっくり来たかも。

以下ネタバレ

いちばん気になったのが幕引き。ラストシーンの長回しの卓球ラリー。あれ、ピンポン球はCGなんだよね。これについては誰も言及していなかった。ラリーが途切れてピンポン球が床に落ちるところは実写だ。後述する二人の会話を経て、ラストカットは、エアラリー(球がないのにラリーしているふりをしている)なのに、ピン球の音だけはしている。これ、前のラリーでもピンポン球は幻覚ですよ、ってことを説明する演出なのだろうか? つまり、親子関係も「演技」だった、という事なのか。それとも決定的な差異が生じてしまった、ってことなのか。
もうひとつ、ミステリー的な気になったのが、2つのラリーの間の会話だ。遠くで聞こえるパトカーの音を聞いて、娘が父に「全部わかってんねんで」的な事を言う。これ、少なくとも作中に描かれているだけでは、佐藤二朗の体験を娘が全て把握できるだけの手がかりはなかったと思うのだが……。
あ、そうか?! ピンポンクラブのレジの奥にあった捨てアカウントをメモしたコースター(コップ置き)は、娘が父の入院中に、それを見つけて父のケータイから、メールの履歴を全て見た、ってことなのか。
これに気づくまでは、娘が警察に通報してパトカーが来たのではなく、たまたまた聞こえたパトカーのサイレンを受けた上でのブラフかと思ったのだが……。
ちなみに、本作で素晴らしい演技を見せた娘役の女優は、『空白』で交通事故した娘の人と同じ人らしいが、全然わからなか(^^;) むしろ、『ソロモンの偽証』の主人公に雰囲気が似てるなぁ……と思ったくらい。