思考の遊戯・続

「雑読雑感」の管理人・レグルスの読書メモ、映画のネタバレ感想など

『河のほとりで』☆☆☆★

情報ゼロで観た。本作は、昨今ならば昼ドラでありそうな、ややこしい(複雑な)男女の人間関係で悩む人々を描いた人間ドラマ。
冒頭、主人公のおっさん(山村聰)が、飛行機でたまたま席が隣になるのが、一人の中年女性(淡島千景)。
その段階では分からないが、これが20年前に別れた元妻。
元妻は、現妻(草笛光子)が略奪婚をしたのだが、その以前からの親友だった。
元妻は、現在は旅館の女将になって、子供が加山雄三なのだが、それと山村聰の娘(星由里子)が付き合うことになる、という『ロミオとジュリエット』以上にややこしい。
さらには、淡島千景草笛光子は現在でも嫌いではない、という百合映画か? という展開が待っている。その辺は良いのだ。本作は前半は人間ドラマとして☆☆☆☆でも良いな、というくらいよく出来ていた。
ところが、後半には加山雄三と星由里子の方の、当時の若者やなぁーという感じの恋愛ドラマが入っていて、これが全然受け付けない(´д`)
加山雄三が旅館の仲居の一人を半レイプしてしまうのを、現在のガールフレンドの星由里子に告白するのだが、作中の星由里子ならずとも、「なんでそんなこと言うん?」という感じだ。おまけに、そこで絶交するわけでもなく、結局くっつく、ってどーゆーことですか?(桂枝雀風に)この辺の展開のせいで後半は☆☆☆。タイトルの意味は、ラストシーンが(オープニングでも映っていたが)河のほとりで二人が話すところだけ。
普通なら観通せないような内容だが、おじさん(年齢的には老人だが、山村聰の子供から見て)役の東野英二郎など、大人の演技が上手い。特に、東野英二郎が乙羽信子と教会で結婚式を挙げるシーンは最高。さらに、淡島千景が実に熟女の色気があって、そのへんが大きい。やっぱりスターが写っていればそれだけで映画はもつのだ。
会話自体は、純文学的というか、2000年代ではまず成立しないような思想的、観念的な内容も多い。また、言葉遣いも、現在では残念ながらなくなってしまった丁寧が言葉が右側人間としては残念かつ懐かしい。
本作では鼻につくだけの嫌なやつ(少なくとも非モテからすると)である加山雄三だが、陽気な若大将的な好青年ではなく、ラストシーンで見せる表情(陽光で眩しい、かつ訝しげな表情)からして、実は最も悪役が似合うんじゃないか? と思う。

1962年 日本